お遍路体験記 0日目

 四国八十八箇所の歩き遍路に旅立ちたいとの願いは、かれこれ15年も抱いていた。

 お遍路の世界を知ったきっかけは、インドのサティア・サイババのアシュラムでの、北海道出身の薬剤師、ミカさん(仮名)との出会いだった。

「帰国したら、お遍路に行くつもり」と話すミカさんが、お遍路について教えてくれた。
 インドから戻ってしばらくしてから、ミカさんに手紙を書いた。返事がきて、ミカさんが八十八箇所を35日間で回り切ったと知る。
 ミカさんの話を聞いて、お遍路に対する漠然とした憧れが生まれた。一歩一歩、足を運べば、いずれは必ず完遂できる確実さがいい。経験値を積んでレベル上げをするロールプレイングゲームみたいだ。

 お遍路に行きたいと周囲に話すと、「何か、悩みでもあるん?」と心配された。悩みは、誰にでもある。具体的な悩みの解消よりも、やってみたい好奇心が優勢だったが、いつしか「お遍路は、重大な悩みがないと行ってはいけないもの」という固定観念が植え付けられた。

 お遍路に行きたい気持ちはずっと持ち続けていたが、お金もかかるし、仕事も休まないといけないので、なかなか旅立てないでいた。

 仕事を辞めたことを機に、ついに旅立つ決心をした。
 旅立ちの日は、恩師の命日と決めていた。

 大学・大学院時代に、心から尊敬していた教授がいた。大変可愛がってもらったが、いろいろあって大喧嘩をし、先生とは疎遠になった。
 以来、今でもそうだけど、私はどうして良いかわからない。先生についていくと決めていたし、先生以上の目標が見つからない。融通がきかない私の性格が原因で大学院を飛び出してからというもの、どう生きたらいいかわからないままだ。迷って、カウンセリングに行ったり、インドやネパールに行ったり、がちゃがちゃと忙しなく動き回ってみたけれど、まだ答えは見つかっていない。
 数年前、インターネットで、たまたま、先生が亡くなったと知った。大学に問い合わせたが、心臓発作だか心筋梗塞だか、とにかく心臓の病気で亡くなったらしい。教務課の職員さんによると、長期休暇空けにちょっと休講したけど、亡くなるまでは早かったそうだ。

 先生とは二度と会いたくなかった。道でばったり会ったらどうしようかと、怖くてしかたがなかった。でも、亡くなったと聞くと、喪失感が半端なかった。勿体ない。先生ほどの方が、この世からいなくなるなんて、学術界の大いなる損失だ。

 先生の葬儀にも、墓参りにも行けない私に、お遍路に旅立つ理由ができた。先生の供養を願って歩こう。
 先生は、私に供養してもらいたいなんて、願っていないだろう。たくさんの生徒の中の一人であり、執着されて、迷惑かもしれない。だから、先生のためではない。私自身の救済のためだ。この気持ちをどこに持っていっていいかわからないから。
 お遍路による供養は、どのくらい効果があるのかわからない。私の拙い般若心経の読経に、それほどの効果は期待できない。しかし、ちょっとでも、天国の先生に、いいことが起こればいいなぁ、と。たとえば、一箇所を訪れるたびに、天国の甘いものが好きだった先生にティラミスが一つ、届くとか。その程度で十分。

 お遍路は「同行二人(どうぎょうににん)」と聞く。お大師様、つまりは空海上人と二人で歩くという意味だ。お遍路が持つ杖は、お大師様の代わりであるという。
 私の場合、杖は先生の代わりだ。
 大学のキャンパスで、先生と一緒に、同じ歩調で歩いた晴れの日。先生に質問をいっぱい浴びせながら歩いたときが、私の人生で一番幸せな時間だった。もう一度、先生と歩きたい。そして、自分の人生を見詰め直したい。

 こんな不安定でガタガタな精神状態では、周囲をハッピーにはできないし、ええ加減、立ち直らなあかん。

 会社を辞めたのは4月の末だった。すぐに旅立ちたかったが、先生の命日の3月に旅立ちたい意思は強かった。結局、1年弱、待たねばならなかった。その間、本を読んだり、服などのお遍路アイテムを揃えたり。お金もなるべく蓄えておきたかった。


 インターネットで、アイテムを購入。


 前職でお世話になった派遣会社の事務所で、アルバイトをさせてもらった。仕事帰りにカフェに寄って、納め札を書く。88箇所×2箇所(1つのお寺に2つの札所がある)+東寺×2箇所 + 高野山×2箇所 = 190枚。加えて、旅中でお世話になった人に渡すお札も要る。書くのが結構、大変。


 派遣会社の専務に、お手紙と、餞別のQUOカードをいただいた。

 

 お遍路しながら、仕事もする予定で、パソコンを持っていく。トータルで15キロの荷物。
 
 

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