お遍路体験記 39日目 2017年4月15日

 今朝はとりわけ足の調子が悪い。
 6時半に宿を出発して、気合いを入れて歩き出したのに、8時ごろに出発した人たちにどんどん抜かれる。
 先輩に似ている人も通り掛かって、「大丈夫? その調子じゃ、次の宿まで歩くのも無理じゃない?」と心配してくれた。昨日の夕飯では、ロビンくんにかかりっきりで、愛想がなくてごめんなさいと言いたかったけど、言いそびれたまま、歩き去る背中を見送った。


 宿の女将さんが作ってくださった、朝食用のお弁当。


「だんじり岩
 この十畳敷程ある大きな岩は、その昔弘法大師が四国八十八か所巡錫の時あまりの空腹と疲労のため自分の修行の足りなさに腹を立て、この岩の上で「だんじり(じだんだ)」を踏んで我慢されたそうです。
 その時踏んだ「だんじり」の足跡が岩に残っており、それ以来誰言うとなくこの岩を「だんじり岩」と呼ぶようになったそうです」

 なかなか人間らしくて素敵なエピソード。
 ↓これが、だんじり岩。

 言われてみれば、足跡っぽいものが見えるような、見えないような。


 この道で合っているのか不安になる。


 峠に到着。道、合ってたみたい。


 町に到着。ひな祭りの最中だった。
 全国から、処分に困ったひな人形を受け入れて飾っているらしい。


 ひな人形以外も混じっている。


 44番、大寶寺(だいほうじ)。ついに44番、八十八箇所ある札所の、ちょうど半分!


 本日の宿に寄って、ロッカーに荷物を置かせていただいた。身を軽くして、あと一箇所、行ってきま~す。


「八丁坂
 昔の人は、急なこの延長2,800mの坂道を、修行のへんろ道として選びました。
 弘法大師が開かれた岩屋寺は、霊場中最も修行に適した場所であるから、参道は俗界の道を行かず、峻険な修行道として八丁坂を『南無大師遍照金剛』を唱えながら登りました」


 ↑これが八丁坂。


「八丁坂の茶店跡
 ここは、野尻から中野村を経て槙ノ谷から上がる『打ちもどり』なしのコースとの出合い場所です。槙ノ谷は、昔、七鳥村の組内30戸程の人達が、この道こそ本来のこーすであることを示そうと意気込みを持って、延享5年(西暦1748年)に建てた『遍照金剛』と彫った大石碑が建っています」

 道標に「45番 岩屋寺1.9km」と書かれているけど、こういう道標に書かれた距離を信用してはいけないことを、これまでの遍路の旅を通して身をもって知った。
 たとえば、「あと3キロ」と書かれたところから1時間歩いたところに「あと4キロ」の標識がある場合だってある。歩いたのに、距離が長くなってるやん、と、何度突っ込んだことか。
 そして、書かれている距離よりも、たいてい実際の距離のほうが長い。


 この辺りから、「いったい、いつまで下りればいいんや」とぼやきたくなるほど続く下り坂。


「第45番 岩屋寺
 弘法大師以前に法華仙人という女修行者が籠っていたといわれます。鎌倉時代、一遍上人が参籠したことで有名です。四国巡拝の道筋が南予の海辺から瀬戸内の海岸へ移る転回点を占めています。
 海抜650mに位置し、寺名は勿論、「七鳥」の地名、「海岸山」の山号そのままに大自然との一体感を味わえる霊場です」
 

 風格のあるお寺。
 ごつごつした岩肌が露呈した場所があって、いかにも修行場といった感じ。
 来てよかった。


 小雨。
 思った以上に時間がかかり、夕飯の時間に間に合いそうにない。宿に迷惑をかけたくないので、ダッシュする。
 車遍路をされているご夫婦の車が停まり、「良かったら、乗せましょうか?」と申し出てくださった。ありがたく乗せていただく。


 今晩の泊まるところは、相部屋。
 相部屋しか空いていなかったの。女だけの宿泊客がおらず、相部屋といっても、1人で泊まることに。男性用の相部屋は、けっこう賑わっている様子だったけれども。
 ひな人形と泊まるのは、ちょっと怖い。


 相部屋しか空いていない理由は、中国の団体客の予約が入っていたからなの。でも、結局、団体客は来なかった。宿のご主人と女将さんが一生懸命食事の用意をして待っていたのに、いつまで経っても来ないから、電話連絡したら、「今日は道後温泉に泊まることにしたから、キャンセルで」って言われたらしい。
 キャンセル連絡もしないなんて。宿の損害を考えてあげてほしい。
「今日は皆さんに相部屋での宿泊をお願いしたり、いろいろご不便をおかけしたのに、すみませんねえ」とすまなさそうに仰る女将さん。
 女将さんのせいじゃないよねえ。

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