死刑執行について考える

 執筆活動は、ぼちぼち続けている。
 毎日ちょっとずつ、通信講座の先生にメールで送って、添削を受けてる。
 今夜は疲れていて、提出を諦めて寝ようと決意。一旦、布団に入ったものの、思い直して、起き出した。
 ちょっと書いて、送ったところ。
 先生は、すごい数の生徒さんを抱えているのに、24時間以内にきっちり返信をくださる。
 私が休んだことは何度もあるけど、先生の返信が遅れたためしは、一度もなし。
 先生の姿勢から学ばなあかんのに、生徒がサボってどうすんの、と。
 まあ、先生としては、お忙しいし、たまには休んでほしい、と思ってらっしゃるかもしれないけど。

 今、書いてるのは、2作目。警察小説。9月末締め切りの新人賞に応募する予定。現在、500枚、書き終わった。たぶん、あと100枚ぐらいで仕上がるはず。

 今日は、オウム信徒の7人が死刑に処された、異例の日だったね。
 私は昔から死刑廃止派で、今日の処刑は、非常に残念。
 今も後遺症に苦しむ被害者がいるのは知っているし、被害者側の一部が死刑を強く望む気持ちは、わかる。私だって、大切な人を殺されたり、自分が痛かったり苦しかったりしたら、ドロドロに恨む。
 それでも、死刑はないほうがいい。国家ぐるみで人を殺す制度があると、怖い。
 何が怖いかというと、自分も死刑になる可能性があるってことを意味するから。どんな人でも、環境と状況とタイミングが合えば、罪を犯す可能性がある。誰にでも、死刑になる確率は、ゼロじゃない。
 死刑のある国では、安心して暮らせない。
 私は、昔から承認欲求が強いうえに、神秘的な体験や超能力に人一倍、興味がある。運が悪ければ、オウムに入信していたかもしれない。教団の存在を知らなかったことと、当時はまだ十代で、入信には若すぎたことで、入らずに済んだけれども。他人事とは思えない。
 今回執行された7人の中では、特に、土谷正実さんが気になっていた。彼は、実直で、どうしようもなく真面目だ。救えなくて、残念だ。
 昔は、恩赦があったのにね。元号が変わるのを機に、無期にしてあげられなかっただろうか。恩赦という、よくわからないけど寛大な制度が機能していた昔の日本は、今に比べて懐が深かった。
 死刑は、社会に暗い陰を落とす。執行に関わる刑務官の心の負担もある。許可を出した上川法務大臣だって、信者の報復を恐れて一生、SPを付けなあかん。
 7人の死を悼んでいる間にも、この大雨で10人が犠牲になった。人は誰でもいずれ死ぬ。この世に生まれたすべての人間が、死刑を待つ囚人のようなものだ、と言った哲学者は、ヘーゲルだったっけ? (うろ覚え。自信なし)
 死にゆく存在だからこそ、互いの命を大切にしたいという、矛盾する考えがグルグル回る。