感想:我孫子武丸『殺戮にいたる病』

 ※ ちょっとだけネタバレがあります。

 あのね、私は物ごとを斜に構えて見られないんやわ。

 またしても叙述トリックにまんまと騙された。ミステリーを読むたびに、作者の仕掛けたトリックにいちいち引っかかる。何を読んでも楽しめるので、得といえば得なのかも。

 本編の猟奇殺人事件を追いかけるよりも、登場人物たちの事情を知っていく過程に夢中になった。お気に入りの人物は、元刑事の孤独な男。仕事を定年退職し、妻にも先立たれた。生きる気力をなくしてラーメンばっかり食べるうちに栄養失調になって倒れる。この種の孤独を抱えている人、世の中にいっぱいいると思うよ。

 私は性格がドMなので、心身の弱っていく過程を読むのが好き。弱った人の観察を好むならMではなくSなのでは、との意見もあるけれども、それは違う。弱った人の視点で感情移入して読むから、やっぱりMやと思う。だから猟奇殺人事件で犯人が他人を殺害するシーンには、まったく関心が持てなかった。

 犯人はラブホテルで女性たちを次々と殺害するが、殺害のときに岡村孝子さんの曲を聴いていたい欲望を持っている。イヤホンの片方を自分に、もう片方を女性の耳に入れて曲を流しながら犯行に及ぶ。

 岡村孝子さんの曲を使う件について、作者はあとがきで、次のように述べる。

”また、岡村孝子さんの詩を何度も引用させていただきましたが、これについても、作詞者ご本人や、ファンの中には、不愉快に感じる方がいるのではないかと懸念しています。しかしこれも、素敵な歌だからこそ選んだのであって、何ら他意はありません。”

 これには共感できない。やはり岡村孝子さんの同意がない限り、いくら素敵な曲だからといって(いや、素敵ならなおさら)使うべきではないのでは?

 私は岡村孝子さんのファンではないけれども、今後、『殺戮にいたる病』で使われた曲を耳にしたら、殺人をイメージするだろう。他人の描いたイラストを無断で使用するのと同じではないだろうか。猟奇的な内容をつぶやくTwitterのアイコンにイラストが使われたら、イラストレーターは不本意だろう。イラストレーターが創り上げてきたコンセプトも台無しになる。なのに「イラストが素敵だったから使いました」は通用しないと私は思うなぁ。

 我孫子さんのあとがきは、反発が起こることへの保身(反発の意を発言しようとする人に釘を刺しておく行為)と受け止められるし、あとがきの一言があったからといって、猟奇的な作品の中に他人の大切な曲を利用する行為への違和感は払拭できない。

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