命日に想う

 今日は私にとって1年で最も大切な日です。

 私に大きな影響を与えた人の命日です。

 最後に会ってから20年以上、亡くなってから12年が経過しています。私にとって大切な人であるだけで、向こうにとって私はどうでもいい存在でしょうが。

 毎年この日になって頭に浮かぶ言葉が、「惜しい」です。

 私はこれまでの人生の中で、あれほど知性の輝きを感じさせる人と会ったことがありません。頑固だし短期だし決してルックスがいい訳ではないし、いろいろと問題の多い人だったけれど、すべてを帳消しにしても余りある知性の光がありました。もっと長生きしてくれたら、私たちの社会に大きな貢献を続けてくれたはずなので、早すぎる死が惜しいです。私みたいな大して役に立たない人間がのうのうと生きていて、社会にとって大切なあの人が早く逝く不条理について考えると、苛立ちをおぼえずにいられません。

 もういい加減、忘れてあげたいなぁ、とは思っているのですが、うまくいきません。

 もしも死後にも魂が残るとすれば、私にずっと想われているのって、相手にとって負担なのでは、と心配しています。出会わなければよかったのかもしれませんが、こればっかりは、私のコントロールできることではないので。

 忘れられないものはどうしようもないし、向こうは私が覚えていようが忘れようが痛くもかゆくもない可能性もあります。相手にとって迷惑でなければ、それでいいのですが。

 あの人と同じ空間にいられたとき、私は確かに幸せでした。

 この先、同じぐらいの幸せを感じられるときがくるかもしれない、と思い続けて生きてきましたが、今のところは、まだ。

 あの人がいなくなった世界で生きる選択をしてよかったと実感できる日は、いまだに訪れていません。

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