節制 ③

いろいろな種類のタロットで占ってもらった。

OSHO禅タロットも。

OSHO(オショー/日本語の「和尚」に由来)は、インドのグル、バグワン・シュリ・ラジニーシの愛称。OSHO禅タロットは、OSHOが監修したタロットカードだ。ちなみに禅とはまったく関係ない(と私は思う)。こういう、なんとなくノリでカードの名前をつけちゃいましたって感じがカードの監修方針にも表れていて、ウェイト版タロットに酷似した絵柄もあれば、まったくちがう絵柄も入っている。ウェイト版の監修者のウェイトは、オカルト系統の思想からちゃんと理論立ててカードの絵柄を決めているが、OSHO禅タロットではその世界観が壊れている。なのでタロットしては信用できないと私は感じる。OSHOの瞑想法でインスピレーションが湧くタイプの人がOSHO禅タロットに傾倒しても、それはそれで他人を批判する権利は私にはないのだが。

ちなみに私はOSHOの説教は大好きだ。OSHOの説話集を読むとうっとりする。だからOSHO自身を全否定はしない。タロットについては理屈屋のウェイトに信頼を置いている、というだけであって。

占い師の先生がOSHO禅タロットを出してきたときに、「それはOSHO禅タロットですね!」と言いたいところをぐっと我慢した。タロットカードの知識がある客が来たら占いづらいかなぁ~と思いまして。基礎的な解説をしなくていいから楽かもしれないが。

出てきたカードの中で、↓これが印象的だった。

羊の群れの中にライオンが混じっている。
ライオンはライオンであることをバレたくない。羊が逃げてしまうので。
それで羊の皮をかぶって羊になろうとするが、なりきれていない。
ただ、なりきる努力のために群れから追い出されてはいない。

「宏美さんは羊になろうと必死に努力しているけど、周りと合わないのは当然なんですよ。だって羊ではないんだから。すごく我慢しているでしょう?」

「はい。でも私だけでなく、みんなが何かしらの我慢をしていますよね。言わないだけで、みんなが悩みを持っています。だから私が他の人に比べてどれだけ我慢が多いかはわからないです」

「確かに、他人のことはわからないものねえ」

「私も我慢している自覚はあります」

「あると思うわ。これからは無理に合わそうとするのではなくて、同じ種族の人たちをさがしにいけばいい」

私に合う人なんて、この世に存在しないと思う。本当の意味でわかってくれる人がいるはずだと希望を持っていた時期もあったが、いい加減に諦めた。羊の群れは私の居場所ではないし、羊たちだって自分たちだけで暮らしたいにちがいない。群れにいさせてもらうのだから、迷惑をかけないように、本性がバレないように気を使いながら生きるしかない。

カードの中のライオンは不安そうで、ひどく疲れた顔をしている。
きっと私も他人から見たら、こんなふうに見えるんだろうなぁ。

以上、結局何も解決しなかったけれど、現状が把握できた点と、抑え込んでいる感情が少し出てきてガス抜きになった点はよかった。いい先生に当たった。今度占ってもらう機会があったら、カードの勉強をしていると打ち明けて、カードの理論について突っ込んだ話を聴いてみたい気もする。ぶっちゃけOSHO禅タロットをどう思っているのかも教えてもらいたい。(終わり)

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