サラスヴァティ・プージャー

 11月3日、とあるヒンドゥ教の僧侶が来日するとの情報を聞きつけて、講話とプージャー(礼拝儀式)の会に参加してきました。

 僧侶であるスワミジ(先生という意味)にお会いしたのは、たぶん5回目ぐらい。あいかわらず穏やかな笑顔で会場全体の空気を和ませてくれます。インドの叙事詩『バガヴァッドギータ―』を中心にした講話を聴きました。

 講話のあとに質疑応答の時間があり、皆が用紙に書いた質問が次々と読まれます。通訳係が、まずは日本語で、次にスワミジのために英語で。

 私の質問も読まれました。最近の悩み事である「父の見舞いに行くかどうか問題」について。私は行かないつもりでいるけれど、できればスワミジに「行かなくていい」と言ってほしかったのでしょう。第三者による正当化を欲していたんです。一方で、「両親を神様のように慕え」と教えるヒンドゥ教と、日頃のスワミジのお話から、「行きなさい」との答えだろうとはわかっていました。わかっているならなぜ訊くの、と自分で自分に突っ込みたい状況です。誰かに相談したくて、あわよくば「行かなくていいよ」と言ってもらえたらいいなーとの魂胆です。

 案の定、「見舞いに行くべきです」との返答でした。やっぱり……。

 親の面倒は子供の義務。もしかしたら親らしいことをしてこなかったのかもしれないけれど、それでも行きなさい。相手が苦しんでいるときに許すことは、最大のチャンスです。

 と、強く強くおっしゃいました。

 ああ、やっぱり私は間違ってるなぁ。でも行けないです。弱いから。

 多分、父は私に会いたくないと思います。今までの行動を観察してきてそう感じるから。ただ母が、私をおびき寄せるための餌として父の入院を使っているだけで。もう母と関わるのは無理なんだよ、私は。ぐちゃぐちゃにされるから。

 マスクで顔を隠しながら、会場でたくさん泣きました。誰も気がついていないでしょう。

 午後からは芸事の女神サラスヴァティに捧げるプージャーの時間。マントラを唱えながら、花びらをヤントラ(女神を象徴する図形)に捧げる儀式を行いました。スワミジが芸事に使う道具を祝福してくださるとのことで、ノーパソとマウスとブレスレットにチューニングしていただきました。

 帰宅してからずっと熱で動けず。おまけに信頼していたリーダーが会社を去るとの発表があり、なんだか良くない出来事が続いているような。仕事も難解な作業を任されていて、かなり厄介。こんなときにリーダーがいなくなるなんて。こういった変化もまた好転反応だと信じたいです。前向きに、やれることをやっていきます。

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