第六話を書き終えた感想

 他の話に比べて、第六話がやたらと長くなってしまった。あとでバランス調整が必要になりそう。

 自分の意思ではなく、何らかの力によって動かされているような、インドの不思議さが伝わるといいなぁ、と思ってる。

 全部で12話を書く予定だったけど、締切まで時間がないのと、応募規定である原稿用紙200枚には十分に届きそうなので、あと2話だけ書くことにする。全部で8話にする。

 あと2話を、この週末で書き上げられると良いのだけど。推敲の時間がほしいし、できれば挿絵も描きたいので。気力・体力と時間との闘い。

 

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第六話 ギター弾きに導かれて

 南インドの内陸部に位置するハンピ村――インドの地形を人体に見立てるならば、ちょうど臍の辺りである。

 ハンピ村の魅力は、何といっても岩の巨大さである。

 巨大な岩が散乱している特殊な景観だ。ドラゴンボールの戦闘シーンで見るような、鳥山明ワールドっぽさがある。広々とした空間は激しい乱闘に打って付けである。険しい岩山はジャンプの着地点として有用で、上下の動きを表現しやすい。派手な格闘シーンの演出が可能である。Nintendo64の格闘ゲーム『大乱闘スマッシュブラザーズ』のステージにハンピ村があれば、私は間違いなく選択する。

 広大な土地には、まだまだ先人たちの遺物が埋まっているようだ。村のあちこちで、現在進行形で遺跡が発掘されている。女性の作業員の姿が目を引く。サリー姿で地面にスコップを突き刺し、籠を頭に載せて器用に土砂を運ぶ。

 十四世紀に建てられた地下のシヴァ寺院が素晴らしい。

 遺跡ならではの(かび)臭さが冒険心を(くすぐ)る。薄暗さが厳かな雰囲気を演出し、威厳あるヒンドゥ教の三大神の一柱であるシヴァに相応(ふさわ)しい。

 シヴァの息子である象の頭をしたガネーシャ神の彫像も、ハンピの見所の一つである。

 丘の上の神殿に祀られたガネーシャは、一枚岩で造られており、高さがなんと約四・五メートルもある。でっぷりとしたお腹に貫禄がある。景観といい彫像といい、ハンピ村はスケールが半端ない。

 訪れた時期は、三月だった。いくら南国であるとはいえ、四月ならば多少はマイルドな気候であるに違いない――そう思っていた私だが、当ては外れた。知らなかったのだが、ハンピを含むカルナータカ州の気温は、三月と四月が最も高い。

 私は事前準備が苦手だ。あまり調べもせずに、フィーリングで動く。柔軟な旅が期待できる反面、防げるトラブルに直面する場合もある。乾いた空気と容赦なく照り付ける日光の中、帽子も被らずにシヴァ寺院とガネーシャ像を見学に行き、すっかり身体をやられた。

 初めての熱中症である。酷い頭痛と視界の狭まりで、身動きが取れない。安宿でミネラル・ウォーターと瓶詰めのコカ・コーラを交互にガブ飲みしてはベッドに横たわり、天井のファンが空気を掻き回す様子を睨んで過ごす。一人旅での病は心細いものだ。身をもって痛感した。

 発症してから二日後に、(ようや)く起き上がれるようになった。ふらつく足で、近くのカフェに辿り着く。太陽光線から身を隠すように、パラソルの陰の下のテーブルに着く。チャーイとパンケーキを注文した。

 近くのテーブルに、先客がいた。色の白い東洋人の青年がチャーイを飲んでいる。後頭部の高い位置にポニーテールを作っている。清潔そうな白いTシャツに、紫の綿パンが似合う。日本人か韓国人か判別ができなかったが、「こんにちは」と声を掛けてみた。

「どうも」と日本語の返答があった。

 出されたチャーイを、そろそろと口に運ぶ。残っている頭痛の所為(せい)か、味も判然としない。

「あの、ご存じだったら教えてほしいのですが」青年に訊いてみる。

「このへんで、薬を売っている場所を知りませんか?」

 青年は硬い表情で沈黙し、私の顔を注視した。

 リアクションを見て、大きな誤解を生じさせたと気付いた。ちゃうわ、そういう意味やあらへん。

「違うんです。熱中症になったみたいで、頭痛が酷くて。薬局の場所が知りたいんです」

 あなたが想像しているような薬物ではなくて。

 羽目を外したがるヒッピーやバックパッカーたちと一緒にされたくない。とはいえ、顔色の悪い女が深刻な「薬がほしいんですけど」と詰め寄ってきたら、青年も怖かっただろう。

「ああ、そういう話だったら」青年の表情から緊張が解けた。「丘の麓に、小さな薬局がありましたよ。坂を下りた所」

「行ってみます。病院の処方箋がなくても、薬を売ってもらえるのか知らないですが」

 インド人の身体に合わせて処方された薬が、日本人の私に合うのかどうかも疑問だが。薬を買うよりも、ガネーシャ神にお願いしたほうが良いだろうか。いやいや、炎天下の中をガネーシャ像の所まで出掛ければ、熱中症が更に酷くなるだろう。

 勘違いをした青年と勘違いをさせてしまった私の間に、微かなぎこちなさが生まれていた。互いに自分のチャーイを飲んで沈黙を紛らわした。

 青年が、気まずい雰囲気を破ろうと話題を変えた。

「ハンピには、しばらく滞在されてるんですか?」

「三日前からです。景観が素晴らしくて、一日目の観光で夢中になり過ぎました。暑さと日光にすっかりやられてしまって。でも、一番観たかったガネーシャ像は見学できたので、満足です。今日の昼の列車で、ハンピを出ます」

「三日で出るんですか? まだ見所はたくさんあるのに。忙しいですね」

「インドには行きたい所が多過ぎて困ります。欲張りなので、あっちもこっちも回ろうとしたら、時間がなくて。気の多い性格なもので」

「次は、どこに行くんですか?」

 回答には少し躊躇(ためら)った。宗教や精神世界に対して免疫のある人間かどうか見定めるには、出会ってから時間が短過ぎる。

 とはいえ、偏見を持たれても構わない相手ではある。カフェを離れれば、おそらく二度と会うことはないだろうから。

「プッタパルティです。サイババに会いにいくんですよ」

 青年の反応を窺ったが、どう感じたかはわからなかった。外面的には涼しい顔を保っていて、「そうなんですね」と相槌を打った。

「僕の泊っている宿に、アコースティック・ギターを持った日本人がいましてね。彼も今日の列車でサイババに会いにいくと言っていましたよ。ただ、その男の話によると、今の時期、サイババはプッタパルティにはいないらしいですよ。別の場所だとか。どこだったかな」

「私も確かな情報源から、サイババはプッタパルティにいると聞いています」

 図師さんの顔が思い出される。

「どちらが正しい情報か、僕にはわからないけど」青年が眉根を寄せて困った顔を作る。「列車でギター弾きに会ったら、訊いてみてください。ドレッド・ヘアで、首飾りをジャラジャラと着けた、目立つ格好をしています。会えば、すぐにわかると思いますよ」

 パンケーキが運ばれてきた。体調不良が原因で、空腹なのに、なかなか胃に入らない。ちびちびと時間を掛けて完食する。

 席を立ち、情報に対して青年に礼を述べる。勘定を済ませ、覚束ない足取りで坂道を下り始めた。

 (ふもと)には、確かに小ぢんまりとした薬局があった。窓口だけの店である。カウンター越しに二人の店員が座っていたが、店内は二人で満員だ。後ろの棚に並んだ薬品以外に、もはや何も入りそうにない。

 髭面の店員に、「頭が痛い」、「眩暈(めまい)がする」と説明すると、青と白のカプセル剤を売ってくれた。外国の薬は強いと聞くので、中身の粒剤を半分に減らし、ミネラル・ウォーターで体内に流し込んだ。数分後には、少しは楽になった気がした。

 安宿をチェックアウトして、駅に向かった。

 村の駅の割りには、賑わっている。外国人観光客の姿が目立った。列車は珍しく遅延せずに到着し、スムーズな旅になる予感がした。体調不良の身には有難い。列車の外側に書かれた車両番号と乗車券を照合して、指定された車両に乗り込む。

 車両の脇に立掛けられたギター・ケースが目に入った。ドレッド・ヘアにビーズの首飾りを賑やかに着けた東洋人の男が座っている。明らかに、カフェの青年が話題にしていたギター弾きである。なんというわかりやすさ!

 自席にバックパックを置いてから、ギター弾きに挨拶に行った。

「カフェで噂を聞いたのですが、サイババに会いに行かれるんですよね?」

「ああ、そうだよ。あなたも?」人懐っこそうな笑顔で応じてくれたので、安心した。

「ええ。プッタパルティに」

「サイババは今、プッタパルティではなくて、ホワイト・フィールドにいる。確かな人から聞いた情報だよ」

「私はプッタパルティだと聞きました。こっちだって、確かな情報です」

「いやいや、ホワイト・フィールドだよ」と、ギター弾きは引かなかった。

 私も反論を重ねたかったが、とにかく頭が痛い。議論しても決着がつきそうにないので、一礼して自席に戻った。ギター弾きとは別々の場所を目指す結果になりそうだ。

 自席に腰を掛ける。インド人の女性たちと向かい合って座る。インドの鉄道は、席に余裕がある場合は、女性同士が乗り合わせるように席の調整をしてくれるのだ。

 いつもなら、現地の人々とのコミュニケーションを楽しみたいところだが、とにかく調子が悪い。バックパックに凭れ掛かり、目を閉じた。

 うつらうつらと居眠りをする。目を覚まして、車窓から流れる景色を眺める。相変わらず、巨大な岩がゴロゴロと放置されている。サルバドール・ダリの絵画のような風景が続き、ハンピからまだ遠く離れていないと気付く。再び目を閉じて、しばらくしてまた目を覚まし――浅い眠りを繰り返した。

 とある駅で停車したとき、ギター弾きがギター・ケースとナップサックを担ぎ、私の席にやってきた。

「降りるよ」

 本来なら、私は自分の情報を頑なに信じて、ギター弾きには従わなかっただろう。その時の私は、いつもとは違っていた。眠気と熱中症で意識が朦朧としているうえに、反論する元気はなかった。素直にギター弾きの指示に従い。促されるままに列車を降りてバスに乗り、ギター弾きの隣に腰掛けた。

「サイババには、何度か会っているの?」ギター弾きが問う。

「初めてです。まさか自分がサイババに会いにいくなんて、夢にも思いませんでした」

「俺も初めてなんだよね。実際に会ってみて納得したら、信者になってもいいなぁ、って思ってるんだ」

「私は、そこまでは考えていません。ただ、好奇心で。物質化現象とか、この目で見てみたいんですよ」

 話しているうちに、バスはホワイト・フィールドに到着した。小・中学校のような建物の前で降ろされた。建物の中にも外にも人が溢れている。賑わいから、サイババがいるのだと確信した。ギター弾きの情報が正しかった訳である。

 心の中で、図師さんに訴え掛ける。

 サイババはプッタパルティにいるって言ったやんか!

 アマチの件に続き、図師さんの情報はまたしても間違っていて、なぜか私は図師さんの言葉をまたしても鵜呑みにしていたのだ。なぜだ?

 それにしても――

 ギター弾きは、サイババに会いに来た経験は初めてだという。なのに、ホワイト・フィールドまで迷わずに連れてきてくれた。だいたい、カフェでギター弾きの話を耳にして、恐ろしくわかりやすい特徴のあるギター弾きが列車の同じ車両にいたという一連の流れからして、出来過ぎた印象だ。頑固で思い込みの激しい私は、普段ならギター弾きの言葉を信じず、危うくサイババ不在のプッタパルティで茫然と立ち尽くす羽目になるところだった。ただ今回は、熱中症でまともに思考できず、ギター弾きに従う結果となった。無事にサイババの(もと)まで辿り着けた経緯(いきさつ)には、何らかの意思の働きを感じた。図師さんだって、サイババのところへは、来ようとしても、来られない場合がある、と言っていた。どんなに来たくても、酷い悪天候に見舞われたり、のっぴきならない用事ができたりして、どうしても来られない人がいるらしいのだ。逆に、来なければならない運命の人は、(あらが)おうとも、どんなに遠くにいようとも、サイババの足元に座らされる。

 サイババの下に来られた人は、選ばれた人間であるとの選民思想に陥りがちだが、それはいささか短絡的だ。出来が悪いから、お灸を据えるために呼び出しをくらうパターンも十分にあり得る。

 とにかく私は、目に見えない力によってサイババの下に辿り着いた。

 敷地内には、ピンクを基調とした鉄筋コンクリ―トの建物が並ぶ。中央には屋根付きの道場のようなホールが陣取っている。

 門のところで、守衛にパスポートを求められた。あとで知ったのだが、日本人だけが出入りの度にパスポート番号の照会をされる、不名誉な状況であった。ここでは詳細は語るつもりはないが――日本の某新興宗教団体が迷惑を掛けた結果、日本人が対象の出入り禁止者リストが存在するのだ。

 照合を済ませた守衛は、ギター弾きと私に、奧の棟内の受付へ行くように指示した。

 門を(くぐ)って、中に入る。

 大勢の群衆で賑わいを見せていた。年齢層こそ幅広いが、学校みたいな建物に人が集まる様子に、中学校の文化祭を思い出す。

 受付は、男女別になっていた。インド式の精神修養の場所では、男女が混ざる環境が避けられる。理由は簡単である――異性がいると、気が散るからだ。

 ギター弾きは少し奥まった場所に設置された机の前に座り、係員と向き合った。

 私を担当してくれた係員は気難しそうな年配の男性だった。小柄な体躯に、不機嫌そうな顔つき。額には、ティカで丸印が描かれている。

 ティカとは、主にプージャ(ヒンドゥ教の儀式)の時に着ける色粉である。神々の祝福を意味する。プージャは寺院や各家庭で朝と夕に実施される。プージャの時間帯になると、頭の上に米やら葉っぱを散りばめている人の姿を見掛けるが、これもまたプージャを受けた証である。

 プージャの時間帯に家庭の主婦たちが鳴らす、手鈴(しゅれい)の音が好きだ。プージャの時間帯に散歩をすると、家々の中から爽やかな手鈴の音が漏れ聞こえてくる。神々に対する敬意と、健全な家庭を連想させる音である。

 係員は私を睨みつけた。悪意がある訳ではなく、普段から怒ったような顔つきなのだろう。はっきりとした声で、私に「サイラム」と声を掛けた。

 何語や?                                                        

 まったく意味がわからず、致命的エラーを起こしたコンピュータのように身体がフリーズする。

 (のち)に仕入れた知識であるが、サイラムとはサイババの信者たちの間で使われる挨拶である。サイはサイババのサイ、ラムは喜びや祝福を表す言葉である。おはよう、こんにちは、こんばんはの代用として使えることはもちろん、ちょっとすみません、おやすみ、またね、元気ですか、ごめんください、さようなら、ありがとうに至るまで、すべてサイラムで済ませられる。台所における胡麻油級の圧倒的な万能感である。

「ところでスワミは今、こちらにおいででしょうか?」やっと口を開いた私は、おずおずと尋ねる。

 スワミとは、師匠とか先生とか、目上の男性への敬称である。本の知識で、信者たちがサイババをスワミと呼んでいると知っていた。

 係員は重々しく頷く。

 図師さん!と、心の中でまたしても突っ込む。

「ところで、あなたはここに泊まりたいのかね」係員が尋ねる。

 ああ、泊めてくれるのか。宿を決めていないので、泊めてもらえるなら助かる。「イエス」と答える。

 私の答えを聞いた係員は、溜め息混じりの苛立った声で「もう無理だ。人が多過ぎて部屋は一杯」と嘆く。それやったらそれで、初めから訊かなかったらええやんか。おっちゃんが「泊まるのか」と訊くから、こっちかて泊めてくれるもんやと思ったがな。

「外に泊まる場所を見つけるしかないでしょうか」と控えめに尋ねる。

 係員は憂鬱そうな顔を更に深めて、「場所は何とかなる」と答える。何とかなるんかい。

 おそらく彼は、細やかで完璧主義な性格なのだろう。与えられた仕事はきちんとこなしたい、だが、次から次へと信者たちが押し掛けてきて、いっぱいいっぱいになっている。サイババに試練を与えられ、カルマ解消の真っ只中なのだろう。

 手続きを済ませたギター弾きが寄ってきて、「どう? 泊まる場所は確保できた?」と尋ねる。係員が「静かに!」と叫び、羽虫を追い払うような手つきでギター弾きを遠ざけようとする。男女が軽々しく話をしてはならない場所だ。

 ギター弾きはまだ話したそうで、唇が動いていた。私も連れてきてもらった感謝の気持ちを言葉で表したかったが、これ以上に係員を苛立たせたくもなかった。

 係員の気迫に観念したのか、ギター弾きは背中を丸めて部屋を出ていく。

 ギター弾きの背中を見送った後で、私も席を立った。熱中症の症状がまだ残っていて、立ち(くら)みがした。

 係員に「サンキュー」と礼を述べると、例によって「サイラム」との言葉が返ってきた。

 指定された部屋に行ってみると、人と荷物でごった返していた。何とか詰めてもらって、バックパックを置けるだけの場所を確保する。

 外に出てみると、ホールの入口で人々が列を作っている。どうも、サイババのダルシャンが始まるようだ。

 ホールには左右に入口があって、男女別になっている。女性側の列に並んで、地べたに座った。すでに十列ほどができている。

 写真入りの名札を首に提げたインド人女性のボランティア・スタッフが、箱を持って現れる。箱の中身は、番号(くじ)だ。それぞれの列の先頭に座る者が籤を引く。引いた番号は、後ろに見えるように掲げて見せる。一番を引いた列からは、歓声と称賛の拍手が沸き起こった。

 籤の番号順に、入場するシステムらしい。

 私の並ぶ列は六番目だった。どちらかといえば良い順番である。

 スタッフの指示で、一番の列の者が一斉に起立した。一人一人が金属探知機のチェックを受けてから入場する。

 いよいよ私の入場の番になった。

 王座のように豪華な椅子の置かれたステージの前と、通路の(きわ)は、既に他の人に陣取られていた。私はステージから三列目に急いで座った。

 入場してから、待つこと一時間。入場前からずっと待っているので、草臥(くたび)れてきた。硬い床の上に座りっぱなしで、お尻が痛い。

 柱のスピーカーから、賑やかな民族音楽が流れてきた。民族楽器であるハルモニウムのアナログの調べが、何ともインドらしい。

 周囲の人たちの熱の籠った緊張感が伝わってくる。いよいよサイババの登場だ。

 ステージの傍のドアから、サイババが現れた。素足でゆっくりと、ステージと私たちの間の通路を歩く。

 サイババと目が合った――気がする。ほんの三秒だが、サイババが立ち止まって私を見た気がした。新入りの珍しい顔だと思ったのかもしれない。気の所為(せい)である可能性も十分にあり得た。コンサートで、アイドルが「私に手を振ってくれた」と半狂乱で喜ぶファンと同類の勘違いかもしれないのだ。勘違いの可能性もあると承知のうえで、私はサイババが私の姿を認めたと信じている。

 根拠のない妄想だが、私は前世では、別の肉体に宿ったサイババの傍に生まれていたかもしれない。前世の記憶のあるサイババは、現在の肉体の私に、前世の私の姿を見付けたのではないだろうか。「あいつ、今世でも来たな」との調子である。

 サイババが、人々の間の通路をゆっくりと歩く。歩く度に、ふさふさの髪が揺れる。サイババが前を通ると、人々が持参した手紙を渡そうと躍起になる。サイババは、差し出された手紙を受け取ることもあれば、受け取らないこともあった。基準はわからない。

 植物みたいな人――それがサイババの第一印象だ。歩く度に、樹木が風に揺れるような雰囲気がある。掌を上にして、手をくるくると回す仕草をよく見掛ける。何の意味があるのか、あるいは意味がないのかは、私にはわからない。

 一通りの巡回が終わると、サイババはステージに上がった。中央の椅子に座る。

 バジャン(神々に讃美歌を捧げる)時間がやってきた。人々の歌声に、サイババが愉快そうに身体を揺らす。

 圧倒された。

 目に見えないエネルギーが、サイババのいるステージから送られてくる。これまでに味わった経験のない感覚だ。サイババが手を回すたびに、「何か」が掻き混ぜられた気がする。その「何か」とは何なのか。わからない。わからないことばかりで、時間だけが過ぎていく。

 こうして、混乱の中、初めてのダルシャンを終えた。

 敷地内は、サイババに守られているような不思議な空気に包まれていた。どこにいても、サイババに見守られている気配がある。

 ダルシャンの時間以外は暇なので、バックパックの整理をしていた。多めに持ってきていたルーズリーフを捨てることにした。少し勿体ないが、紙は日本で幾らでも買える。荷物は軽いに越したことはない。ゴミ捨て場にルーズリーフの束を置き去りにした。

 宿舎の表の階段に腰掛け、木陰で休む。薬もよく効いて、熱中症は随分と軽くなっていた。

 白い修道着姿の日本人女性が、笑顔で私に近付いてきた。彼女は「これ、あなたのでしょう?」と言って、私に紙の束を差し出す。捨てたばかりのルーズリーフだった。

 こうして、他のゴミで少し汚れたルーズリーフを受け取る羽目になった。サイババからの「物を大切にしなさい」とのメッセージだろう。私はそう解釈している。

 ホワイト・フィールドに来て、三日が経過した。

 ダルシャンの時間には、ホールの前方に制服姿の少年少女が整列する。この敷地は、どうやら普段は学校として使われているようだ。

 初日以来、ギター弾きとは言葉を交わしていない。背の高い彼は集団の中でも目立ち、ドレッド・ヘアの頭を時々見掛けた。サイババに会った感想を互いにシェアしたかったが、話す機会は訪れなかった。食堂もホール内の座る場所も、男女は分けられている。

 ――実際に会ってみて納得したら、信者になってもいい

 私にそう告白した彼は、果たして信者になる決意を固めただろうか。

 三日目の夜、ダルシャンに訪れると、「スワミからですよ」との言葉を添えて、スタッフが菓子を配った。硬めの蒸しパンのような菓子である。その日は、祝日のようだった。何の祝日かはわからないが、神々の数が多いインドには祭日・祝日が多い。

 ダルシャンの時間の後、サイババの講話があった。

 私は人間の密集する前の方を避け、ホールの一番後ろで様子を眺めていた。少しでもサイババに近付きたい日と、人々の競争から離れて傍観したい気分の日があった。その日は後者だったのだ。

 スピーカーを通して、初めてサイババの声を聞く。高くて控えめの声だった。テルグ語で話すサイババの声と、英語通訳の堂々とした声が交互に発せられる。

 一時間に亘る講話が終わった後で、ホールから出る。人々が一斉に出口へと詰め掛ける。

 宿舎に直帰する気分になれなくて、外のベンチに座っていた。

 私の隣に黙って座る人がいた。見覚えのある顔である。同じ部屋に泊まる外国人の女性だ。

「今夜の講話、どうだった?」流暢な英語で彼女が尋ねる。

「正直、あんまり理解できませんでした」

「でしょうね、あなたの英語力じゃあねぇ」なかなか、はっきり言ってくれる。

「どちらからお越しですか?」

「カナダよ。娘がね、スワミの学校に入ってるの」

 サイババが開いた寄宿学校の学費が無料である。ただし、優秀な子しか入れない。ただ勉強ができるだけではなく、心が試される。たとえば、入試に「愛とは何か」という記述問題が出される。

「優秀なお子さんなんですね」

 どうやら自慢の娘であるようだ。彼女は笑顔で「シャンティって名前なの」と答える。

 シャンティはインドの言葉で静寂を表す。

 見知らぬシャンティに想いを馳せる。

 十代そこそこで、インドの寄宿学校で育つ人生である。個性的でエキサイティングな将来が待ち受けているだろう。

 見上げると、月が綺麗だった。

 翌朝――

 朝のダルシャンの終わり、宿舎に戻る。人々がスーツケースを広げ、慌ただしく荷物を纏めていた。

 例のカナダ人の女性が、「スワミがプッタパルティに戻るんですって。タクシーを手配したけど、あなたも乗る?」と声を掛けてくれた。

「残念ですけど、行けそうにないです。そろそろ帰国の日が近づいているんです」

 ムンバイから大阪へ飛ぶ飛行機の出発日が近づいていた。ムンバイに向かって北上しなければならない頃合だ。

 プッタパルティにも行ってみたかったので残念ではある。金曜日に出されるイタリア・ピザも食べてみたかった。

 最南端のコモリン岬を目指して南下する旅のはずだったが、辿り着く前にUターンを余儀なくされる結末になりそうだった。

 宿舎にいると、他の人の荷物整理の邪魔になりそうだ。表へ出て敷地内を散歩していると、人々が大急ぎで門の外に出ていく様子が目に入った。どうも忙しい日である。

 何事だろうか。

 皆に便乗して私も外に出てみた。道沿いに、人々が列を()して並んでいる。

 黒塗りの車が現れた。フロントにジャスミンの花が飾られている。後部座席には、いつもの橙色の衣を着たサイババが乗っている。

 群衆は、プッタパルティに向かうサイババの車を見送るために集まっていたのだ。

 サイババの車が行ってしまうと、人々は一斉に動き出した。スーツケースを引っ張ってきて、次々とタクシーに乗り込む。タクシーは列を作って、サイババの車を追うように走り出す。

 あれだけ賑わっていた敷地内が、あっという間に閑散とした。私は取り残された。先程までの賑わいは、熱中症が引き起こした奇妙な夢だったように思えてならない。

 ところで、私はどうすれば? 帰り道がわからないのだが。

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アベノマスク到着の巻

 幼い頃は、郵便受けを見るのが大好きだった。外から帰る度に、自分への郵便物が届いていないか確認する。

 中学生にもなると、複数のペン・フレンドがいた。雑誌の「ペン・フレンド募集」コーナーで見つけた相手もいたし、風船の紐に住所と名前を書いて飛ばし、拾った人から返事をもらうこともあった。

 大人になってからは、郵便受けに入っている物といえば、DMやチラシばかり。郵便受けをチェックするトキメキは消えていった。

 そんな私が最近、ずっと郵便受けを気にしていた。アベノマスクの到着を待っていたのである。

 政府から、マスクが送られてくる。マスク不足で困っている私を政府が助けてくれるのだ。大阪府は東京都に次いで感染者が多いから、きっと四月下旬には届けられるにちがいない。

 そう期待していたのだが。

 到着に気付いたのは、今朝だった。今朝か、昨日の晩の投函だろう。宛先も書かれていないから、郵便システムではない方法で配られている様子だ。

 既に我が家には、使い捨てマスクが飽和状態である。一年間は持ちそうな枚数の備蓄ができあがっていた。遅過ぎる。大阪で今朝やっとだから、感染者が少ない県では、もっと時間が掛かるんだろうなぁ。

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第五話を書き終えた感想

 なんでか知らんけど、第五話の執筆に、えらい時間が掛かった。

 書きやすい内容と書くのに時間の掛かる内容があるようだ。
 体調とか、他の要因も、いろいろあるだろうけれども。

 アマチのところに行った話は、これまであまり話す機会がなかったけど、文章にまとめられて良かった。

 アマチは毎年、日本に来てくれる。昔は大阪にも来てくれてたんだけど、最近は東京だけ。しかも今年は、例のあれの影響でイベントの開催が難しいから、延期になるんだって。来日が決まったら、久しぶりにダルシャンを受けてみようかなぁ。

 

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第五話 抱き締める聖女

 私は長年、サンスクリットと呼ばれるインドの言語を勉強している。

 サンスクリットは、マントラや聖典に使われる。マントラや聖典は口述での伝達を基本とするが、文字での記録も存在する。サンスクリットを文字で表現する場合、デーヴァナーガリー文字の採用が主流だ。

 文字の上部を横棒で繋げる形に、レリーフ模様に似た美しさを感じる。デーヴァナーガリー文字で神々の話を読む時間は至福であり、軽いトリップ感すら得られる。何事にも邪魔をされずに、いつまでも字面を追っていたい。

 サンスクリットだけではなく、ヒンディ語やマラーティ語などの北インドの言語の記述にも、デーヴァナーガリー文字は使用される。しかるに、サンスクリットとヒンディ語は文法体系がまるで違うにも拘わらず、文字は共通する。読み方のルールも、基本は同じだ。そのため、私はヒンディ語の意味がわからないまま、文字だけは読めるという中途半端な状態に陥っている。ヒンディ語で書かれる看板の文字や鉄道駅の駅名表示が読めるので、たまには便利だが。

 南インドだと、デーヴァナーガリー文字の読めるスキルは、ほとんど役に立たない。

 デーヴァナーガリー文字とは異なり、南インドの言語で用いる文字は、コロコロと丸っこくて愛嬌がある。困ったことに、私は南インドの文字がまったく読めない。表示が見ても、どのバスに乗って良いかわからない。現地の人しか来ない食堂では、メニューが選べない。

 文字の理解できない場所への旅は、不便と不安が付き纏う。だが、その分、わくわく感も高まる。未知への挑戦である。

 人間は言葉で思考する生き物だ。言葉の在り方が、その人の人格を形成する。私のまったく理解できない言語で生まれ育った人たちが住む場所を訪ねる訳で、未知の体験への期待は膨らむばかりだ。

 南インドのケーララ州、アレッピー。

 図師さんにもらった手書きの地図を頼りに、遠路遥々、やってきた。聖女のいるアシュラムは、アレッピーからボートで移動した先の、アムリタプリという場所だ。

 アレッピーの船着き場から、観光ボートに乗る。

 切符を()ぎりにきた船員に、「アムリタプリ」と告げる。

 聖女に会ってみたい好奇心は勿論だが、アムリタプリという地名にも魅力を感じた。音の響きに、いかにも南国の陽光のような明るさがある。

 アムリタプリの地名は、おそらく「アムリタ」と「プリ」の合成語だろう。「プリ」は「町」を意味すると推測する。「ジャイプル」や「ジョードプル」の「プル」と同じだ。「アムリタ」はサンスクリットに由来する言葉であり、「ア」と「ムリタ」に分解できる。「ア」は日本語にすると「非」や「不」に当たる打ち消しの言葉で、「ムリタ」は「死」である。つまり「アムリタ」は「不死」を意味し、飲むと死ななくなる伝説の飲み物の名称でもある。日本語では「甘露」、英語ではnectarと訳される。

 アムリタプリを訳すならば、不死の町といったところか。永遠の理想郷を連想させる名前である。母性の権化である聖女が住み、豊かな水は甘く――夢のような場所が脳裏に浮かぶ。

 観光ボートは十人ほどが乗れる大きさだ。西洋人のバックパッカーたちは、乗船すると早速、デッキを占領した。デッキに寝そべって、日光浴を始める。が、すぐに屋根のある座席に移動した。とにかく暑い。日向ぼっこには、日差しが強過ぎる。

 ゆっくりと進む私たちのボートに、手漕ぎの舟が寄ってきた。舟には二人の現地民が乗っいる他、バナナが山盛りに積んである。バナナの黄色が目に痛い。一人は(かい)で舟を漕ぎ、一人はボートの乗客に向けてバナナを売る。私も窓から手を出して、一房のバナナを買い求める。小ぶりで形は不揃いだが、甘さはしっかりしていた。

 水辺の家々の生活風景が楽しい。ロープに干された大量の衣類を眺めて、家族構成を想像してみる。(たらい)の中に全裸で立たされた男児が、母親らしき女性に洗われて石鹸だらけになっている。子供が多い。あちこちで走り回っている。生命力と繁殖力の強さを感じた。

 水辺で生活する人たちは、生活を覗き見する外国人の存在をどう思っているだろうか。金を落としてくれる存在としてでも良いので、好意的に見ていてほしいものだ。

 ボートは途中で停まり、全員が降ろされた。降りてすぐに屋台があった。朝食タイムだ。

 屋台のすぐそばの東屋で、大きなテーブルを囲んで皆で食べる。メニューは、イドリーとワダのセットである。

 日本の喫茶店ではモーニングといえばトーストとゆで卵が定番であるように、南インドの朝といえばイドリーとワダである。

 イドリーもワダも主原料は豆の粉末である。イドリーは白い蒸しパンの形態で、ワダは甘くないドーナツ状の食べ物だ。シャバシャバのカレー・スープと一緒に食べることが多い。

 たいていの食堂には、イドリーとワダがあるので、メニューに迷わない。朝のぼんやりとした頭で食事メニューについて考える負担から解放される。南インドでの朝は、決まって「イドリー、ワダ」と呪文のように唱えた。

 南インドの料理が好きだ。

 一番のお気に入りは、マサラ・ドーサである。甘くないパリパリの巨大クレープに、香辛料で味付けした馬鈴薯(じゃがいも)(くる)んである。クレープ生地を手で割って、チャトニと呼ばれるココナッツのソースに浸して食べる。

 ウッタパムも捨て難い。米粉や豆の粉の生地に野菜を入れて焼く。大阪のソウル・フード、お好み焼きに近い。

 南インドの食事は全体的にマイルドな味付けで、比較的に日本人の口に合うものが多い印象だ。少なくとも私は、南インドで食べ物に苦労しない。

 もしかすると南インドの人々は、日本人と共通するセンスを持っているかもしれない。

 アンマのアシュラムのあるケーララ州の隣は、タミルナドゥ州である。タミルナドゥ州で広く話される言語をタミル語と呼ぶ。

 学習院大学名誉教授であった故・大野(すすむ)氏は、タミル語と日本語は同系の言語だと主張し続けた。同系とは、つまりルーツが同じだという意味合いだ。

 マジかっ。マジなのか。偉い先生が、本気でそんな研究を発表しているとは。

 言語のルーツが同じだからといって、何も祖先が同じと唱えている訳ではない。

 サンスクリットの例を見てみよう。イラン辺りの遊牧民の言語が片やヨーロッパに伝わってフランス語やイタリア語のルーツとなり、片やインドに伝わってサンスクリットとして定着した。遊牧民やジプシーたちによって言語は広がっていったが、定着先の住民たちの人種は違う訳だ。タミル語と日本語だって、人種的なルーツとは関係なく、何かしらの繋がりを持っているかもしれない。

 論説に、突飛な印象は受ける。長年の研究を積み重ねた学者に対して突っ込めるほど、私が言語学に通じている訳でないが。

 たとえば日本の赤ん坊は、食べ物を「まんま」と言う。サンスクリットで食べ物は「अन्न (アンナ)」である。「まんま」と「アンナ」――実に似ている。だからといって、日本語とサンスクリットのルーツが共通である訳ではない。偶然でもないだろう。まだ言葉を流暢に話せない赤ん坊にとって、複雑な構成の言葉は発音できない。赤ん坊でも使うような身近な言葉には、発音しやすい「あ」や「ま」が採用されやすい。食べ物が「ブリハッドアシュヴァ」(インド神話に登場する仙人の名前)だったりしたら、赤ん坊には発音が無理だ。

 こうした便宜上の都合や偶然を超えた共通点が日本語とタミル語には見られるというのが、大野先生の主張である訳だが。

 あくまで私の考えを発表するとすれば、ルーツが同じというよりも、センスが似ているのではないだろうか。だから、言語に顕著な類似性が見られるのだ。

 南インドの人々のメンタリティは、日本人に共通する感じがする。大らかで、穏やかな性質である。言葉にしなくても心が通じやすいように思われる。

 ボートが船着き場に到着し、船員が私を呼びにきた。アムリタプリに到着だ。

 私以外には、誰も降りる素振りがない。観光客たちは、この先のクイロンまで行ってからUターンし、再びアレッピーに戻る。

 バックパックを背負い、一人でボートを降りた。

 去っていくボートを見送ってから、船着き場を背に歩き出す。

 アシュラムがどこにあるのか、わからない。左右には民家と小さな売店があるだけだ。鄙びた田舎の風景が続く。一本道なので、なんとなく道なりに進む。

 どうやら道は、確かにアシュラムに続いているようだ。白い修道着に身を包んだ西洋人の姿が、ちらほらと目についた。強い日差しの中で、修道着の白さが目立つ。

 ブロンドの髪を短く刈った西洋人の女性が近づいてきた。他の西洋人たちと同じく、修道着姿だ。サンダル履きの足で軽やかに歩く。笑顔で私に「アシュラム?」と尋ねた。私の「イエス」を聞いてから、私の少し前を歩き出す。

 たとえば野原を散歩中に、目の前を羽ばたく蝶を発見すると、まるで自分を先導しているように見える時がある。西洋人の女性は、軽やかに舞うモンシロチョウを思い出させた。

 アシュラムの門を潜ると、どこからともなく石鹸の匂いがした。子供の頃に、母に甘えた記憶が蘇る。物干し台で洗濯物を干したばかりの母に抱き着くと、エプロンからお日様と石鹸と卵焼きの匂いがした。アシュラムに漂う匂いは、まさに、お母さんの匂いだった。後で知ったが、アシュラムでは手作りの石鹸を作っているらしい。

 前を歩いていた西洋人の女性が振り返り、建物を手で示した。受付の標識が見える。私が受付の場所を知ったと確認すると、女性は別の建物へと消えていった。

 受付では、長机に男女の係員が並んでいる。二人とも、やはり西洋人である。外国人の多い環境だ。世界を股に掛けたアマチの活躍を連想させる。

 髪の長い女性係員の前の椅子が空いていた。椅子に腰を下ろす。

 首から提げているパスポート・ケースを、服の下から引っ張り出す。係員にパスポートを提示する。

 渡された用紙に必要事項を記入する私に、係員が質問する。

「何泊の予定?」

「三泊です」

 サイババのアシュラムに寄る予定も合わせると、日程的に三日が限界だった。

 記入が終わった用紙を係員に渡す。用紙の余白に何やらメモ書きをする係員に話し掛けた。

「アマチは今、アシュラムにいらっしゃるんですよね」

 係員はペンを動かす手を止め、私を見た。青み掛かった緑色の目だった。

「いないわよ。今は北インドを巡るツアーの途中だから」

 ショックに、息が止まる。

 ボートに乗って、遠路遥々、やってきた。アマチに会えないなら、何のために訪問なのか。

 ――アマチなら、ちょうどアシュラムにいる時期だよ。

 図師さんの言葉が脳裏に蘇る。

 私には、他人の言葉を鵜呑みにする傾向がある。図師さんの貫禄や説得力も相俟(あいま)って、アシュラムにさえ辿り着ければアマチに会えるものと、すっかり思い込んでいた。

「といっても、もうじき帰ってくるとは思うけど」私の顔の引き攣りを見た所為(せい)か、係員がフォローを入れる。

「いつ戻ってくる予定ですか」

 係員が鼻に皺を寄せて笑う。

「さあ。『もうすぐ』としか答えられない。アマチが帰ると決めた時が、帰る時」

 答えられる訳がない。ここはインドだ。予定通りに事が進む場所ではないのだ。

 なのに、「私は三泊しかできないんですけど、その間にアマチは帰ってきますかねえ」との愚問を重ね、係員を困らせた。

 宿舎に移動する。係員に指示された部屋を覗くと、六畳程度の部屋に、既に四人の宿泊者がいた。

 フランス語が飛び交っている。どうやら宿泊者のうちの少なくとも二人はフランス人のようだ。

 二人のうちの一人が、ドアの前に佇む私に声を掛けた。フランス語ふうの英語である。

「あなたもこの部屋で泊まることになったの?」晴れやかな笑顔だ。

「そうなんです。空いてるスペースはありますか?」

「ないわよ」もう一人のフランス人が話に入ってきた。ウエーブの掛かった黒髪の、顔立ちのはっきりした女性だった。顔立ちだけではなく、意見もはっきりしている。「見てわかるでしょう? もう一杯よ」

 一杯と言われても――ここに入るように言われてきたのだ。私の意思で部屋を選んだ訳ではない。

 皆に少しずつ詰めてもらって、なんとかシーツを敷く場所を確保した。

 居心地が悪い。

 あからさまに迷惑そうな顔をされた体験が、心に引っ掛かる。部屋にいても厭な気分だ。外に出て、宿舎の廊下をうろついた。

 窓から他の宿舎を覗いて回る。まだ誰も入居していないと思われる、空の部屋も幾つか見られた。

 意を決して、再び受付を訪ねる。先ほどの係員の姿はなく、大柄の男性が応じてくれた。やはり西洋人である。

「今の部屋は、人が多くて、あまり居心地が良くないんです。まだ空いてる部屋があるみたいですし、だったら、一人部屋を提供してもらえないでしょうか」

「そういう訳にはいかないよ」係員は困った顔で笑う。「グループでの寝泊まりがルールだからね。今の部屋に居づらいなら、別の部屋に移る? とっても気の良いオーストラリアの婦人がいる部屋があるよ」

「いえ、一人になれないんだったら、別にいいです」どこに行ったって、他人と空間を共有するのであれば、ある程度の居心地の悪さには耐えるしかない。たった三泊である。ここは我慢だ。

 アシュラムでの生活は、大きなイベントがある訳でもなく、淡々と過ぎていく。

 同居人であるフランス人の一人はとても陽気で、顔を合わせるたびに笑顔を向けてくれる。洗面所で衣類を洗って色落ちさせ、「ああ、私のパンジャービー・ドレスが!」と大騒ぎする。

 もう一人のフランス人は、いつも不機嫌な顔をしていた。体調も(かんば)しくない様子で、昼間はたいてい眠っていた。彼女を起こさないように注意しながら静かに行動する。

 もしかすると、彼女が不機嫌な理由は体調不良にあるのかもしれない。が、理由の一端が私にあるように感じられ、彼女の曇り顔を見る度に胃の縮む思いがした。

 おそらく私の不快感は、彼女の言動とは直接関係にない。それまでの人生の中で私が経験した居心地の悪さ、他人に歓迎されないという思い込みが、過剰反応を起こしているのだろう。つまりは、私の問題なのだ。

 朝と夕方、ホールに一同が集まり、ヒンドゥの神々に歌と祈りを捧げる。アンマがいる時は、ダルシャンがあるはずの時間だ。

 ダルシャンとは、姿を見ることを指す。つまり、ホールにアマチが現れ、姿を見ることができる時間である。一緒に祈り、歌ってくれる。

 ホールでアマチの姿を探すが、いない。ダルシャンの時間のたびに、アマチがまだアシュラムに到着していないと知って落胆させられる。ツアーからの帰路の途中であるらしいとの噂が漏れ聞こえてくる。が、私が去るまでに帰ってくる保証はどこにもなかった。

 ダルシャンの時間の後は、食事タイムである。

 ステンレスの皿にご飯とカレーを盛り、茣蓙(ござ)の上に座って皆で食べる。

 それまでの人生で食べた中で、最も質素なカレーだった。痩せた豆ぐらいしか、具材が見当たらない。普段、もし他に食べ物があれば、手を付けないだろう。

 アシュラムの敷地内には小さな売店があり、ビスケットなどの食べ物も売られている。食事は無料のカレーが配られるので買う必要はないのだが、贅沢をしたい者はオプションの購入が可能だ。ある意味、日本の拘置所と同じ仕組みである。

 地元の人々が集まってきて、食事の提供を受けていた。私が質素で味気がないと文句を垂れる食事内容だが、食べ物に困っている人たちにとっては助けになっているのだ。

 贅沢ができなくても、大勢の人々にいきわたる食事を――それが世界の母としてのアマチの願いだろう。私も売店を利用せず、皆と同じ物を食べると決めた。

 アシュラムで過ごせる最後の夕方、気合いを入れてホールに向かった。

 翌朝はダルシャンの時間の前に、アシュラムを出なければならない。アマチに会えるとしたら、その夕方が最後のチャンスだった。

 バジャン(神々を讃える歌)が始まるが、正面の檀上にアマチの姿はなかった。途中でアマチが現れると期待したが、一曲が終わり、次の曲も終わり――。

 惨めな気分だった。遠くから時間を掛けてやってきて、居心地の悪い集団生活を強いられ、質素な食事に耐えたが、アマチに会えなかった。いったい私は、インドで何をやっているのか。

 初めは、それほどアマチに会いたい訳ではなかった。図師さんに話を聞いて興味を持ち、アマチに会えば自分が変わるのでは、と期待した。アマチに思い入れがある訳ではないのに、会えないとわかると酷く落胆する。我儘(わがまま)だ。思い通りにならないと()ねる未熟な自分に気付き、さらに深く落ち込んでいく。

 バジャンの最後の曲が終わった。周囲の人々が静かに席を立ち、ホールから去ろうとする。

 アマチに会えなかった現実が受け入れ難く、私はぐずぐずと居座っていた。だからといって、いつまでも座り続けている訳にはいかない。重い腰を上げて、ホールの入口を振り返った。

 白いサリーを着た女性が、こちらに近付いてくる。ふくよかな丸顔のインド人である。トンボを捕まえる時のように、足音を立てずにこちらへ向かってくる。やはり白いサリーを着た取り巻きの女性たちが、彼女の周りを囲んでいた。

 図師さんにもらった写真に写っていた、まさにその人である。

「アマチ!」私は小さく叫び、アマチに駆け寄った。気が付くと、飼い慣らされた犬のように抱き着いていた。もしも私に尻尾(しっぽ)があったなら、激しく振り回していただろう。涙と鼻水で顔が汚れた。

 ずっしりと肉の詰まった、柔らかい胴体だった。

 アマチが私の背中に腕を回す。

 お付きの一人が、英語で「あまり強く抱き締めちゃ駄目よ」と私に囁く。アマチが「オーケー、オーケー」と陽気に受け流す声が聞こえる。誰かがアマチに「彼女は明日の朝、アシュラムを離れるんですよ」と伝えた。「そうなの?」とアマチが答える。

 アマチの身体からやっと離れたが、名残惜しい。何か言いたかったが、言葉が出ない。ただ、アマチの人懐っこい笑顔を見詰めるだけである。色々と考えた結果、出てきた言葉が「あなたが来日するときは、ぜひ日本でも会いたいです」だった。一番伝えたい言葉であるかは甚だ疑問であるが、自然と口から出てきた。

 アマチは南国人らしい陽気な声で、「オー、イエス」と快諾した。

 見詰め合っていると照れ臭くなってきて、アマチに後ろを向かせて背中を押した。「他の人も、あなたを待っているから」との言葉を添えて。アマチは私の真意をすぐに察したらしく、小さな笑い声を立てて群衆の中へ入っていった。

 壁際に立ち、アマチの様子を遠くから眺めた。

 皆が次々とアマチに抱き締められていく。皆が良い顔をしていた。立派な大人の男性であっても、アマチの前では骨抜きだ。子供みたいな顔になっている。

 人々は私の前を通る度に、笑顔を向けてくれる。

 アシュラムを離れる前の最後の機会に、アマチがやってきた。しかも、私のところに真っ直ぐに。人々は一連の流れをアマチの起こした小さな奇跡と受け取り、私を奇跡の体験者として祝福したいようだ。

 多くの人が集まる中でアマチが私のところへ来てくれた事実は、偶然かもしれない。あるいは、アマチに会えない私の落胆を、アマチ自身が敏感に察知した結果かもしれない。

 意地悪な見方をすれば、私にとってアマチに会える最後のチャンスだと誰かから聞いて、奇跡に仕立てようと企てた、と考えることもできるだろう。だが、アマチの晴れやかな笑顔を目の当たりにした私には、工作をするような人にはとても思えなかった。相手がどんなに素晴らしい人間であっても、勘ぐれば幾らでも悪く勘ぐれるものである。

 食事の時間は、アマチを囲むようにして皆で食べる。アマチも私たちと同じ物を口にした。私が美味しくないと何度も不平を感じ続けた粗末な食事である。地元の子供の口の中にアマチが食べ物を入れてやる。微笑ましい様子に、周囲から笑いが漏れた。

 会ってみて、アマチの凄さがわかった。

 アマチの本領は、おそらく奇跡を起こす力とか、説教の秀逸さとか、そういった聖女らしい振舞いにはない。

 南インドの漁村で生まれた平凡な女の子――教育を受けることさえ難しい環境に育った彼女が、世界中から人々を集め、貧しい人たちを物質的に助け、富める人たちを精神的に救っている。彼女自身も世界中を飛び回る。自己実現力が半端ない。

 しかも、彼女が使うものといえば、生まれ持った両手だけである。抱き締めるなんて、誰でもできる。誰でもできることなのに、誰でもできる訳ではない。その証拠に、私たちは抱き締められる行為を求め、南インドの村にまでやってくる。

 アマチの凄さは、現実を動かす力にある。そして、もう一つ。母性の権化としての役割だ。

 特別ではない私が、最初に抱き締められた事実。

 他と比べて特別に優れていなくても、母親にとって我が子は大切だ。構われ、世話を焼かれる中で、子供は自尊心を形成していく。アマチが私にしてくれた優遇こそ、母親の甘やかしそのものである。

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明日から

三連休!

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お気に入りの動画 ドラマー目立ちすぎww

おはよう☀ またしても通勤電車の中です。いつもの電車に乗り遅れそうになって、駅までダッシュのヘッポコぶり。

今日もインドの手記を更新できそうにないから、代わりにお気に入り動画をご紹介。

この動画は、ホンマに好き! 観るだけで元気が出る!

私も、このドラマーみたいに、周りは気にせず自分のパッションで動きたい。

↑この動画を気に入った方は、ぜひ↓こちらもご覧ください。

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進捗状況

おはようございます。

皆さん、お元気ですか?

今日は日曜日やけど、会社に向かってるよ。阪急電車の中。

昨日は休みやったのに、執筆はちっとも進まず。パソコンの前には座ったものの、書けた行数は、たった3行。レインボーマンのヨガの眠り級の眠気が押し寄せてきて、身体が動かないの。眠い……眠いんだ……。

休業期間が終わって会社に行き始めたら、執筆ペースが滞るのは、初めからわかってたけどね(´д⊂)

手記は、アマチのアシュラムに着いたとこまで書いた。南インドの料理について書きたくなって、脱線中w

焦ってもしゃーないから、ぼちぼち進める。会社から帰ったら、また続きを書きまぁす。

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吉村知事の人気について一言

増幅を続ける吉村大阪府知事について一言。

行動力が半端ない。世の中、色んな意見があるから、反発も返ってくる。批判と攻撃も受けるだろう。だけど行動を辞さない果敢な姿勢を尊敬する。

吉村知事が会見やメディア出演の中で大阪弁丸出しで話すところに、大阪人として好感を持つ。

横山ノック知事の時代から、ずいぶん変わったものだ。ノック知事もノック知事で、ある意味で大阪らしくて好きだったが。

出勤前に寄ったコンビニで、何気なく雑誌を眺めていたら、ある週刊誌の見出しが目に入った。

『週刊女性 大阪府知事 吉村洋文 ファッション七変化』

ちょっw どうでもええわw だいたい吉村知事は、基本的にずっと作業服やろっww

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第四話を書き終えた感想

読みにくかったらごめん(´Д`;)

文章力はともあれ、読みやすさだけは工夫するように心懸けてるよ。内容が優れないとしても、読みやすさのキープだけは、最低限のおもてなしだと考えている。

が、今回は、読みやすさにも自信なし。旅の気ままさと、思いがけない出会いの楽しさが伝わるといいなと思う。

書くスピードは遅いけど、分量ペースは計画どおり。次の第五話で、原稿用紙換算百枚ぐらい。

仕事に行ってくる。(・ω・)ノシ

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